たしかに嫌な違和感を感じるコピーだ。

ライター個人がこのキャッチフレーズを広告にしたわけじゃないのに、代理店やクライアント、はたまたこの広告に賞を与えたクラブはお咎めなしというのはいかがなものか。

「24時間戦えますか」というキャッチコピーの某栄養剤広告が、かつて流行っていた。

このご時世じゃ考えられないが、今から20年くらい前の日本は、死ぬまで働くことに美徳があった。

毒にも薬にもならない言葉や詩はたくさんあるが、強烈な言葉というのは、誰かを傷つけ、誰かを勇気づける。諸刃の剣みたいな残忍性と魔性を秘めている。

これは浅はかな経験則だが、それでも言葉がある世界には生き甲斐を感じる。

嫌なことを言われたり、身も蓋も無い罵詈雑言を見聞きすることで胸を痛めたりするが、

言葉が無い世界や、言葉に何も感じない世界は、生きていないことと同じだと思うからだ。

怒りや悲しみすら無い日、目を開けてまた目を閉じるだけの日、無味無臭の日、どんな慰めにもどんな嫌味にも心が揺らぐ事など無い日、心が無い日、そんな時を過ごした経験がある人にはわかるだろう。

このコピーが炎上した背景には、女性蔑視の意見や文化的なミスマッチがある。

流動的で多様性が膨張し続ける時代、どんな時代にも常にフィットし続けるためには、これから先、言葉がある世界に何を残そうとすべきかを、突き詰めてクリエイトしなければならない。クリエイターも企業も広告屋も、本当は社会との繋がりをそれぞれの立場から意識しなければならない。人の為す処、カネとスピードに支配されがちだが、水や空気と同じだ、文字や言葉は。

今にも消えてしまいそうな心の灯に、火を宿すような静かな情熱は、決して派手では無いが、どんなに時代が移ろおうと、きっとブランド価値以上に付加価値があると、そう願いたい。

以上、名古屋の糞ライターが書いたweb日記でした。